『SPA!』2/1号で倉山満がまた皇室に関して
珍妙な論を展開している。
有識者会議の報告書の養子案について、
産経抄や百地章と全く同じことを主張しているのだ。
憲法14条の「法の下の平等」があるのに、
一般国民を皇族にすることは「門地による差別」にあたる。
話はそこで終わるはずなのに、倉山もまた
「皇室はそもそも、人権の例外である」として、
天皇や皇族は国民ではないと述べている。
出身母体である「国民」の平等について話をしているのに、
養子先である「皇室」の人権を云々したって
何の意味もないじゃないか。
その上、さらに意味不明な文章を続ける。
「一般国民が皇族になってはいけないなら、
女性はどうなる?(中略)現行法でも
一般国民から皇族になることは認められている」
何言ってんだ?
肝心な「結婚によって」が抜けている。
結婚と養子は同列には語れないだろう。
結婚は「門地による差別」とは全くの別物。
これだって、女は皇族になれるけど男はなれない
という先週の詭弁の延長に過ぎない。
何度でも言うけど、男が皇族になれないのは、
女性皇族が結婚したら皇籍を離れる決まりになっているからだ。
「女だって特別扱いされてるじゃないか」と言わんばかりの
認識は改めなさい。これじゃあ単なるこじらせ系だ。
それにしても、なぜ男系原理主義者は、
出身母体ではなく養子先である皇室に話を転じるのだろう。
論理展開がおそろしく飛躍する。いや、破綻している。
話が論理的につながる文章を書きましょう、というのは
作文の基礎で習うはずだが??
ちょっと考えてみて、ようやく合点がいった。
彼らは、有識者会議が養子の候補とした
旧宮家の男系男子孫を、今もなお皇族だと思っているのだ。
だから、14条では「門地による差別」を確かに禁じているけれど、
養子候補である人々はもともと皇族なんだから関係がない、
皇族は人権の例外だから、と説明するのである。
よく読むと、倉山もそれと思しきことを記している。
「本来の身分である皇族として生きていただく」
「そもそも旧皇族の方々は、本来ならば皇族として
生まれてくるはずだった方々だ。何も問題はない」
話を意図的にすり替えているのかと思ったけど、
単に思い込みだけで書いていたことがはっきりした。
思い込みが激しすぎて、男系原理主義者にしか通じない
ロジックであることにも気がつかない。
倉山満は日本国憲法下では生きていない。
そして旧宮家の人々が戦後、「国民」として生きてきた歴史も、
生活基盤も、友人関係もまるっきり無視、
あるいは容易に「変更可」だと思っている。
そうでなければ、「何も問題はない」などというセリフ、
出てこない。
他人の人生を操作できると無意識のうちに思っている
その傲慢さ、恥を知りなさい。
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